自己紹介
皆さんは、「英語物語」が好きですか?
いえ、
皆さんは、
英語「物語」は好きですか?
「英語」と「物語」が好きすぎた私は、
いつの間にか、英語物語の「英語」翻訳を担当し、
気づいたら、フォニ島の産みの親となっていました。
その後は、開発を担当し
今年から、季節イベントの各季節(三ヶ月)の1枠の絵師として復帰して、
「物語」を書く側としてストーリーの一部を描かせていただいています。
それが今の私、だっちです。
目次
序論
私は苦悩しています。
絵師に復帰して以来、私は苦悩しているのです。
なぜなら
私にとって、英語物語の「物語」を書くことは
決して容易なことではないからです。
その理由は
私が「英語物語」を好きな一番の理由にあります。
それは
「理解を超えている」からです。
私は、物事を「ロジック(理屈)」を通して理解しています。
しかし
私が持ち合わせている「ロジック」では
英語物語の「物語」を理解することができないのです。
ちなみに
私が復帰して以来、担当した物語は5つ。
全てはイベントテーマを元に「ロジック」に基づいた構成で描かれています。
冬「さっぽろ雪まつり」
ホラー:伏線と匂わせを散りばめたホラー
春「五月病」
克服:それぞれの五月病の解決と、メタ展開のオチ
夏「海の日」
友情:親友と友情のすれ違い
秋「だんじり祭」
努力:憧れと尊敬のすれ違い
冬「大晦日」
ギャグ:そば界隈の争いと漁夫の利
ま、今月の大晦日の回は比較的「英語物語」らしさに寄り添えたかもしれません。
でも、違う……
そうじゃない!
例えそれが「ギャグ回」でも、あまりにも構成が「ロジック」に依存している……
私が十年前に心を奪われた英語物語は、そんな単純な「ロジック」で説明できる魅力ではない。
「ロジック」を超える素晴らしさの上で魅せられる物語なのです!
しかし!!
それでは、私には英語物語の「物語」を描くことはできない。
私は、英語物語の素晴らしい「物語」を
私が依存している「ロジック」を通して理解する使命があるのです!!
今回は、
私が
私によって
私のために
英語物語の「ロジック」を解き明かしていこうと思います。
(あまりに長くなりますので、今回は「関東編」のみに絞ります。)
本論
1:王道のストーリー
全ての物語には、「はじまり」がある。
当然のことを言っているようですが、
物語にとって、その「はじまり」という名の「つかみ」が重要なのです。
この記事のように、
ダラダラと長い自分語りから始まるような「はじまり」は
決して美しい「はじまり」とは言えないのです。
この記事を読んでいるあなたは、
当然、英語物語のストーリーをしっかり読み込んでいるし、
最高に面白いと思っているし、完璧に展開を覚えているのは承知の上ですが
敢えて、おさらいしていきましょう。
何かの間違いで、忘れている人もいるかもしれないが
英語物語は、意外と完璧な「王道」なスタートを切っている。
・舞台:高校受験のある日突然、閉じ込められた夢の中
・目的:夢から脱出する方法を見つけること
・人物:ボケ(英子)ツッコミ(英夫)案内人(おこしん)
「つかみ」は、短く、分かりやすく、意外性を、
短い尺の中でしっかり完璧に伝えている。
しかも、この夢の世界が、
あなたを含む、誰もが中学2年生で必ず産み出す
「黒歴史ノート」(私も3冊ほど産んだ)に基づいて
作られている「エイーゴ帝国」であることが判明。
その時点で、多くの人から共感を得られる世界観が共有される。
唐突な謎の世界に、誰もが経験する納得感のある世界観を示すことで
「ある程度」の理解を与えた形で、物語の理想のスタートを切る。
敵についても、
最初に現れる敵「エイーゴ帝国東京ブロック長官」のぴよ子が
この世界からの脱出を阻む、という立ち位置で戦いが始まる。
完璧な構成ですよね。
(既存の教養の満足感と、新たな知識欲が絶妙なバランスを成す
「ご当地」というテーマも強みですが、
他の良さと比べれば砂糖一粒程度なので割愛します。)
しかし、
ここまで来て、
あなた頭のネジが緩んでいなければ、
きっとあなたは、何かがおかしいことに気づき始める。
この物語の進行の中心は、「王道」ではなく
「シュール」であることに。
そう。
簡単に言語化してしまえば、英語物語は「シュール」な「王道」物語。
その後の構成も、書き出してしまえば、
黒幕を探し、
黒幕に会うためのアイテムを集め、
四天王的なボスを倒して行き、
この世界の真相を知り、
敵の目的を知り、
かつての敵と共闘し、
感動の最後を迎える。
という、一般的で、ロジカルな、超「王道」物語。
そこに絶え間なくブッ込まれる「シュール」の中に、
私の理解を超える「何か」が潜んでいるのです。
次章からは、
物語を進めながら、その「シュール」の手がかりを探って行きます。
2:ギャップシュール
英語物語の最初のステージを飾る、最初の敵。
それが「浅ちゃん」。
突然ですがここで、
過去にこれまで登場した懐かしい敵たちを振り返りながら、
それぞれの敵の言動を振り返ってみましょう。
過去に登場した敵でネームドキャラは、なんと総勢2体。
資料1:敗北したぴよ子
資料2:勝負を挑んでくる浅ちゃん
序章でも言いましたが、
私は物事をロジカルに「言語化」できないと理解ができません。
この「シュール」さの成分を分析した結果、この2人の発言からは、
極めて近い成分が検出されました。
私は、検出された成分の要素を解析した結果、
2つの要素の構成で成り立っていると考えました。
1つは、「シリアス展開」
いずれも、状況は「夢からの脱出を阻む敵との対峙」というシリアスな展開です。
2つは、「しょーもない」
この決死の戦いの敗因と動機、「寝不足」と「バイト」
この2つの混合物から生まれるシュールを
「ギャップシュール」と命名します。
今後、シリアスな展開では、拍子抜けの基盤をねじ込んでみるとしましょう。
ま、本編以外では、シリアスな展開は、基本発生しないので
私にとって、あまり役に立ちそうではありませんでした。
3:エモシュール
このペースで分析していくと、あまりにも長くなってしまうのですが、
何を隠そう、浅ちゃんは私のお気に入りのゆる。
あと少しだけ、浅ちゃんの話を解析させてください。
ここが序盤で私の心を掴んだ一番好きなシーンだからです。
この極めて短い尺で開示された、浅ちゃんの構成要素は
・案内人おこしんの親友
・ニート
・おばあちゃんっ子
濃い、いきなりとても濃いのです。
大好きなおばあちゃんが動機で始めたバイトで親友を裏切り
戦闘敗北後、初任給の話をする浅ちゃん。
この時点で、情緒あふれるキャラクター性が
シュールに描かれています。
大切な親友、浅ちゃんがニートから脱却し、自立に踏み出し、
しかし、敵であるぴよ子に遣われ、前に立ち阻み、
戦闘敗北後、初任給の話を嬉しそうにする浅ちゃん。
それに対してのおこしんの切り返しは……
草。
感情の言語化には、それ相応の語彙力とリテラシーを要する。
しかし、人間の感情を「言語」という定義に基づいた型で表すには、
その解像度に下げるエンコードが必要になる。
そして、語彙力とリテラシーのスペックが足りない若者たちは
感情をエンコードするために、新たな「言葉」を開発した。
それが「エモい」である。
「エモい」という言葉は、海外の「エモ」バンドが発祥とされているが、
ここでは、2010年以降の日本で流行したそれとは、別の物として扱う。
「感動的」「懐かしい」「胸が締め付けられる」といった
幅広い感情を表現する便利な言葉として浸透した「エモい」だが、
「シュール」と言う表現との共通項は、極めて少ない。
本来、結合しない「エモい」と「シュール」の化学反応に成功した発明品。
それが英語物語、第一話「浅草」の浅ちゃんなのである。
尚、私はこれを真似する実力は持ち合わせていないため、役に立たないようだ。
4:放置シュール
この章では2ステージ目「巣鴨」で登場するとげぬきさんのストーリーを考察する。
彼を蘇生スキル要員としてしか見ていないあなたは、
人生を悔い改めて、反省しなければならない。
なぜなら、この要素こそが、
英語物語のメインウェポンと考えられるからである。
これが、とげぬきさんの第一声です。
あなたはこの文章の意味が分かりますか?
これが、英夫の応答です。
どうやら、英夫は意味が分かっているようです。
次の返しです。
なぜ、刺すところから始めなければいけないのか、
あなたは、分かりますか?
ってか、何を抜く話をしているのか、
分かりますか?
これが、英子の応答です。
どうやら、英子は全てを理解したようです。
ちなみに私は、少ししか理解できていません。
ちなみに、全てを理解した英子の答えは以下です。
答えを教えてくれた英子。
それでも私は、分かったようで、
一晩くらい考えましたが、よく分かりませんでした。
しかし、分からないからと言って、多くの人は
ここでつまづくことなく読み進めたことでしょう。
これが一体、なぜなのか。
実は、これがとてつもなく重要なポイントなのです。
(ま、ここで、つまづいてストーリーをスキップし始めた人も少なくは無いでしょうが、
おそらくその人は、この記事が公開されている頃には、
英語物語の世界からは、姿を消していることでしょうから、いない物とします。)
このゆるの会話を解析した結果、得られた成分はひとつだけ。
読者を置いてきぼりにした、「意味不明の会話」。
読者を置いてきぼりにするために、会話に意味を持たせない。
そんな単純な成分で、放置シュールが作れるのでしょうか?
英夫「今日はラーメンを運転する会議室だ!」
英子「ええ!私はギターの予定だったのに!」
わあ、面白く無い!オセアニアじゃあ常識的な何かなのかな!?
「意味不明」なだけで、何も面白く無いですね。
抽出された成分を使ったはずなのに、面白く無いのはなぜか。
様々な検証の結果、この「放置シュール」という成分は、
適正量がかなりシビアである可能性が浮上しました。
このステージの勝利後、次の目的地を聞き出すシーンをご覧ください。
英語物語の「放置シュール」は、僅かに、理解できる気がするのです。
理解できていないことに気づくのに、一晩を要しました。
絶妙な適正量が求められることがお分かりですね。
これは、ロジックではなく、レシピのない「料理」。
職人芸レベルの匙加減が求められ、適正量を誤ると面白くなくなってしまうのです。
しかし、おそらくこれこそが、私が一番取り扱うのに長けるべき成分だと考えているので、
取り扱い資格1級を目指したい。
資格を得るまでは、この成分を取り扱うことはできないので役に立たない。
5:パロディ
センスのない人はエログロに走る、と人は言います。
下ネタや過激な発言は、簡単にウケを狙える劇薬なのです。
用法用量に注意しないと、いろんなものを失うリスクのある危険な劇薬なのです。
そして、英語物語からも、また二種類の劇薬が検出されています。
その一つが、パロディ。
この劇薬は、一口に「パロディ」と言っても、
かなり幅広い成分に分けられることが分かりました。
※画像
一つ目は、ネットミーム。
多くの新規ユーザーをドン引きさせて門前払いした劇薬。
しかし、刺さる人には、これでしか得られない養分があります。
二つ目は、昭和ネタ。
作者の素性が気になってしまうほど、
懐かしい、知る人ぞ知る、とんでもネタをぶっ込んできます。
ほんの一部にしか刺さらないものの、刺さった時の特攻力は凄まじい劇薬。
三つ目は、アニメや映画などエンタメの一般的なパロディ。
一番、無難で守備範囲が広いものの、
劇薬と呼ぶには、力は弱いです。
しかし、恐ろしいことに、
実はこれが意外にも、最も利用に注意が必要な成分なのです。
実験過程で、使用上の注意項目を書き出して行った結果、
あまりにも繊細で、誤用が発生しやすい危険な成分であることが発覚しました。
使用時の注意事項
・一過性すぎるネタは避けてください(効能期限が短すぎます)
・認知の低すぎるネタは避けてください(伝わる・伝わらない以前に自語りに陥る危険性があります)
・結合しやすい成分をお選びください(親和性が低すぎると、自語りに陥る危険性があります)
・改変のしすぎに注意してください(効能部位に行き届かず、不純物のみが残る危険性があります)
・改変のしなさすぎに注意してください(盗用・剽窃は厳しく罰せられる可能性があります)
・成分を正しく理解してからご利用ください(解釈・取り扱いミスは警察に摘発されます)
・成分を尊重しながらご利用ください(両手を合わせて拝んでから利用することをお勧めします)
・自家製の物の使用は避けてください(身内ネタのパロディは絶対に使用しないでください)
6:メタネタ
もう一つの劇薬は、メタ要素です。
「大人の事情」は、もう英語物語のお家芸となっています。
この劇薬にも、大きく分けて2種類の要素が存在します。
1つは、運営とシステム。
ストーリー上の辻褄合わせが間に合わない時の対処として処方される
問題解決能力も高く、ユーモアに昇華できる有能な成分となります。
2つは、作者の事情
こちらも、1つ目と同様、
問題解決剤として利用されることがあります。
逆に言えば
この成分の「問題解決」の効能に依存しすぎると、
ユーモアとしての効能を蔑ろにし、副作用に蝕まれる危険性があり、
その上、依存性も高く、劇薬中の劇薬と呼べる、危険な成分と言えます。
以上の2種類の劇薬、「パロディ」「メタ」は
用法用量の匙加減が、非常に難しいため、利用する際には必ず、
鏡の中にいるカウンセラーに相談し、自問自答して利用することが必要となります。
7:[ここにタイトルを入力] //分析結果が出てから後で入れる
この章では、2県目、埼玉の浦山の
「さくらこちゃん」を見ていきます。
いきなり濃すぎる登場をぶっ込んで来ます。
日本仏教の真言宗の開祖である空海の言葉のパロディです。
この手の、学や教養のある人に伝わるパロディも
伝わる人に伝わった時の満足感を高めることができます。
この求められる教養レベルは、
高ければ高いほど、刺さった時に面白く、
低ければ低いほど、多くの人に届くものになります。
つまり、
認知度 (𝑦) は、要求教養レベル (𝑥) が上がるほど減少するため、逆比例のような関係を仮定できます:
𝑦 = 𝑘/𝑥 (k は比例定数です)
面白さ (𝑧) は、要求教養レベル (𝑥) が低すぎるとつまらず、高すぎると理解者が減りすぎるため、
ピークを持つ関数と考えられます。ガウス曲線や2次関数で近似できます:
𝑧 = −𝑎(𝑥−𝑏)2 + 𝑐 (𝑎, 𝑏, 𝑐は調整パラメータで、𝑏は面白さのピークを示す要求教養レベルです)
また、
認知度と面白さを総合的に考えるなら、「刺さりやすさ (𝑤)」を次のように定義することもできます:
𝑤 = 𝑦⋅𝑧 = 𝑘/𝑥⋅(−𝑎(𝑥 − 𝑏)2 + 𝑐)
これにより、要求教養レベル (𝑥) を調整することで、最適なバランスを探索できます。
例えば:
𝑥が小さい → 認知度は高いが、面白さが単調。
𝑥が中程度 → 認知度と面白さのバランスが良い。
𝑥が大きい → 面白さが尖るが、認知度が低すぎて刺さらない。
このモデルを基に調整することで、ターゲット層に合った「教養レベルのパロディ」を設計できます。
しかし、ネタをそれぞれの調整パラメータと変数に変換することはできませんので、
結局は作者の職人芸、匙加減に依存するため、このモデルは何の実用性もないのでご注意ください。
それはさておき、
問題はここからです。
自分のパロディに、自問自答し、
セルフツッコミを入れています。
……ええと、
えー、高次元のツッコミですね……
4章で述べた、「放置シュール」を使用しています。(多分)
分からないようで、分かる。
いや、分からないようで、分からない……あれ。
……ええー、
よく分かりませんが、
我に返り自己紹介により物語は進行します。
……
……ちょっと難しかったので、
解析は後回しにして、バトル後の話を見てみましょう。
バトルに敗北したさくらこちゃんは、
自前のダムが決壊し、水を浴びてしまいます。
明らかに決壊していますが、
必死に否定している姿で、可愛らしさを表現しています。
大丈夫なわけがないのに、
大丈夫と宥める理不尽さでユーモアを醸し出しています。
あれ、
あ、大丈夫なの……?
では、今の説明は訂正して、なかったこととします。
……え、どういうこと?
さて、気を取り直して。
英夫は終始ツッコミ役を担っていますが、
山車で、「金の斧と銀の斧」をやるという、
絵面が想像できないところを差し置いて、
「不法投棄」という若干ズレたツッコミを入れることによる
ボケとツッコミを両方成す高等テクニックです。
正直……?ご褒美に山車……?
えーと……
さて、気を取り直して。
英夫のこのツッコミは、非常に古典的でストレートですが
物語における「古典的なツッコミ」は、
ボケであることを、明確化し、共通認識を正し
交通整理の役を担う、完成された方程式の一部なので、
決して廃れることはありません。
えー……は?
ま、まあ英子はボケ役なので……
この物語は、英夫とおこしんが進行の中心で、
英子と他がボケをなっている構成となっています。
……え、あ、君も?
あーだめだ、これもうわかんねぇな
もうむりむりぼくにはむりda
結論
結局、無理なんすよ。
だって理解を超えてんだもん。
その結果、僕はロジカルに物を書くようになったんですこの記事だってそう。
以下、僕が個人に、
あ、無理だ。って思ったシーン5選を紹介して、今回は終わります。
では、ここまで読んでくれてありがとうございました!
次回のアップデートもお楽しみに!
1:来るぞ英夫!じぇねえよw
2:そういう使い方あるのか……
3:スピードについていけない
4:こういうのでいいんだよ
5:絶妙を詰め込んだ1枚